渡良瀬川 奥戸村の仙元宮の話し
石祠がある。
地区内の石碑の一部が集められている感じ。
石碑の台座には、溶岩と河原の石が埋め込まれている。
卍講の石祠は、傍示塚村の荒井仰行を先達とするもの。
近所にお住いのシュクさんにお話しを伺ったところ
「(仙元宮は)昔からここにあった」
「昔はちゃんとした道路もなく、舟で川崎に出ていた」
とのことであった。
渡良瀬川の舟運末期、奥戸河岸は猿田河岸よりも繁栄したと聞くが、大きな仙元宮の石碑も河岸の繁栄を連想する。台座に使われている溶岩は、舟運を利用したのだろう。
奥戸村の鎮守である春日神社の創建は、奥戸河岸の開設よりも百年以上は古いそうだ。
伊勢・八幡との三社信仰として、春日神への信仰心はより篤くなったことだろう。
渡良瀬川の土手の近くにある、延宝5年(1676)の大日
先月の台風19号にて、仙元宮の辺りは大丈夫だったが、
近くの寺院の裏手では、床上浸水した家もあったという。