足利富士浅間神社 初山のペタンコ祭開催中止の6月1日月曜日の朝に

 

初山のペタンコ祭が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催中止。

 

館林市富士原町の富士獄神社 初山大祭や、7月に開催予定であった佐野市奈良淵町の火祭り(浅間山のおたきあげ)など、富士山信仰として子供たちの無病息災を願う祭りが中止になる。これは当然でありながらも残念。

コロナの終息を願いながら、祭りの開催場所についての余談を記す。

 

龍神に無病息災を願った麦わら竜

 足利の浅間山には竜の伝説があり、かつて山麓には龍ヶ淵と呼ばれた淵があった。

田中町「初山のペタンコ祭」では祭りの当日に、無病息災の願いを込めた授与品として麦わらで作られた竜の縁起物が頒布される。この竜をモチーフにした絵馬もある。

今年は祭りが中止なので、浅間神社に訪れても入手できないと思われる。

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現在の麦わら竜はすべて雄の竜で作られているようだ。

竜の髭とツノを整理すれば雌竜にも。

 

男浅間の絵馬では髭を生やした雄の竜が、女浅間では髭のない雌の竜が描かれた絵馬が授与される。雄竜と雌竜についての謂れはないのでお子さんの性別orお好みでOK。

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下段中央が足利の男浅間絵馬、左が女浅間。

 

 

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上の写真は足利富士山にて採取した笹葉と麦わら竜、となりは室の八嶋の竹葉と栃木市大神神社の授与品 ミニチュア草鞋

 

 室の八嶋の竹葉をお札に見立て、富士山に登拝した時代あり

フダ(箋・簡)とみなして竹葉を持ち浅間に登れば、雨に困らず簡単に登れそうな気もしてくる。

 

過去の富士登山で、終日雨に降られた時の話

 平成28年の夏に、迷走台風こと台風10号(ライオンロック)が来ている中で富士登山をした。午前中は下山をする人とすれ違ったが、午後には登山道はガラガラ。

雨により暑くもなく、渋滞もないときの富士登山は案外楽。

もちろん登山経験者の話であり、台風接近中に子供や老人を連れて行けば強風に煽られて転倒の危険あり。

 

山小屋で食事を取らなくてもよい準備(スタミナ管理)、全身ゴアテックス素材(登山靴、レインハット、レイングローブ)、ハイドレーションでの給水、サイドから中身が取り出せる登山リュック、強風対策をしたザックカバーなどしっかりとした登山装備のある人向きの話。

霧で視界が閉ざされたときの経験、素早く登って降りて来られる体力がない方などは、登山者が少ないというだけで遭難の危険が増す。

この日ある山小屋では、宿泊客が全員キャンセルしたとのことで早めに閉めていた。

 

速乾性素材の服など無い時代、蓑笠で雨天の富士山登山は大変だろう。

雨は山の下からも風に乗り吹き上げて来るし、強風の体感温度を考えれば疲労凍死があってもおかしくない。水行で体調を崩す人などは連れて行けなかったことだろう。

 

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「日本最高峰富士山剣ヶ峰」の石碑前にて

 3,776 mまで登った「麦わら竜」

 

足利市田中町女浅間にある大きな石碑「金山提箸翁碑」の話

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この石碑で語られている金山提箸翁こと提箸清七の本名は清行、富士山では「金山清」として知られていた人

金山の號からは富士の山頂で祀られた薬師如来垂迹神、鹿島金山大権現を連想する。

 

下野国安蘇郡上彦間村生まれ(現佐野市飛駒町)江戸~明治期に日光男体山や富士山に登り、富士講先達の荒井仰行に学ぶ。

富士登山七十五回、富士山の御中道に新道を開いた

この石碑には扶桑教足利別院のこと、飛駒村にに寄付をしたことなども記されている。

下彦間村から足利に抜ける手掘りのトンネル開通工事にも寄付しているかも知れない。

 

『富士中道巡』 宮崎紋吉著 明治38年(1905)に、金山清新道の記述あり。

天の浮橋から達磨石まで三里登って小山に出ていたルートに、近道となる新道を開いた人として紹介されている。

新道の碑に刻まれた、金山清(提箸清七)の御詠歌

「道にこる 山は眞(まこと)のひとすぢに ふもわけ初(そめ)し 富士の中道」

 

ここでいう「新道を開いた人」というのは、時短できるルートを見つけた人の意味。

大沢崩れの崩壊で時代とともにルートが変わった御中道。「崩壊消滅」など以外にも土砂崩れで道筋が変化するなどはあっただろうが、三里を三分の一に短縮するなどは、まさしく偉業なのだろう。

 

金山清新道の記述は、国立国会図書館デジタルコレクション 

『富士中道巡』中道之記(コマ番号43/66)にて確認できる。

 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765290

 

桜の木にとって新型ウイルス的脅威

 昨年、田中町浅間神社で多くのカミキリを捕まえた。浅間神社に限った話ではないが参拝者だけでなく、クビアカツヤカミキリを駆除するボランティアが減ることを考えると桜の木が心配。

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浅間神社 6月中旬ごろから成虫が現れて、桜の木にこのカミキリを多数見かける。天敵がおらず一匹が100~300産卵するという。幼虫が木の内部を食害するため枯れてしまう恐れあり。

特定外来生物

 

 

佐野市奈良淵町の浅間山 稲荷大明神にある「お仙水」の話

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浅間山の湧き水

 

 由来

佐野市奈良渕の山頂に鎮座し木花咲耶姫命を奉斉する。仙元神社の登山口に早川家の屋敷内にお仙水と称する湧水があり仙元神社へ登山する人はここで身を清めたという。

(この仙元神社はそののち)富士山頂より御今霊として奉斉され富士仙元と称し田の神山の神と商売繁昌、福徳円満、健康長寿、子孫繁栄、悪疫消除の御神徳高く更に神事として年年奉仕する「火祭」には近郷近村より列をなして多くの信者が登山し御神霊として火種を頂き一年中絶やさなかったと言う。現在では佐野市の年間行事として行われている。

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敬称をつけることで、これほど残念な気持ちになったのは初めて。

地震災害の影響におどく。

 

 

佐野市奈良淵町浅間山 安政3年(1856)の石祠に見る三猿

浅間山の中腹に、安蘇郡天明中町の先達 森島長行を願主とした石祠がある。

台座には武州埼玉郡小針村の渋澤徳行や、野州梁田郡久保田村の山田第行の名前が見られる。

この石祠の屋根は、他では見かけない形をしている。

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屋根の正面に聞かざる左面に言わざる、残念ながら右面の屋根が欠けてしまっているため見ざるの上半身が欠損している。

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棟には右卍の講印あり。

 

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 言わざる

 

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佐野市大栗町では、左右の破風に鶴と亀が彫刻された浅間宮を見る。

しかし屋根の三方に三猿が彫刻される石祠はここ浅間山でしか見たことがない。

 

この石祠が建てられた4年後の万延元年が庚申年であった。

次回の庚申年は、今年生まれた赤ちゃんが二十歳となる20年後の2040年。

 

石祠を過ぎて登ってゆくと石の鳥居があり、鳥居の柱には「武運 長久」とある。戦勝を祈願して奉納されたもの。

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足利市大月町の仙元宮には、戦勝祈願をして浅間三十三社を回った人の奉納物がある。佐野の浅間山でも戦勝祈願をする人が多くいたのだろう。浅間山の登山口となる小梥神社(小松)にある制空神社の石祠には、海軍を思わせる紋が見られる。

 

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群馬県館林市富士原町の富士嶽神社 拝殿外壁に見る足利の寄進者名

 

神社の拝殿外壁に寄進者の名前が彫られているのは良く見かけるが、壁に直接彫られている文字を見ていると職人の技術に感心させられる。

この中には足利の寄進者の名前も多数ある。たとえば勧農村の日下部氏と聞けば、川上講二代目先達 明行龍重に関係する日下部さんではないだろうかと連想する。

 

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富士嶽神社の大きな鳥居に見る、渡良瀬川の河岸がある村

 

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富士嶽神社の鳥居の柱には、足利郡猿田河岸の寄進者や奥戸講中の名が見られる。

北猿田村の石工 高瀬鹿蔵は、足利市伊勢町の伊勢神社にある「回漕問屋忠兵衛の石灯篭」嘉永2年(1849)を作った人。

 

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奥戸村(現足利市奥戸町)は下総国葛飾郡の古河藩領であったが、舟運を使えば現茨城県古河市も近い。

 

言いたいことは分かるうた

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 きれいな女神さまがいるところ