山火事後の両崖山に登る 足利市本城一丁目の両崖山ハイキングコースより
両崖山へのハイキングといえば、西宮町の足利織姫神社から登り始めて両崖山の足利城跡まで行って折り返してくる人が多いだろうか。
『足利市ハイキングマップ』では「歴史のまちを望むみち」と「天狗山ハイキングコース」の2つをおすすめコースとしている。
このほかの下山道や、本城一丁目のハイキングコースには登山者用の駐車場が整備されていない。
関東ふれあいの道「歴史のまちを望むみち」は、月谷町の行道山浄因寺を出発して、大岩毘沙門天~両崖山~織姫神社~鑁阿寺~足利学校~足利駅に至る9km。北から両崖山に登る設定のコース。
大岩町の旧サンフィールド駐車場などを利用して、大岩毘沙門天からスタートすれば、行道山~毘沙門天の2kmをショートカットできる。
「天狗山ハイキングコース」は一番人気のあるコース。
織姫神社~鏡岩~両崖山~天狗山~富士見岩見晴台~子安観音(通七丁目)の約5km。
さいこうふれあいセンターなどに駐車して、子安観音堂から登って行く人もよく見かける。
子安観音の水盤は、嘉永6年(1853)に奉納されたもの。
支える足は4つの溶岩。奥に足利の浅間山がみえる。
「本城一丁目のハイキングコース」は、雷電神社から雷電山に登るルートと両崖山を東から登るルートがあり、今回は後者の両崖山ハイキングコースを登った。
両崖山へ登り始める前に、小谷弁財天大神へ参拝。
寄進者名が書かれた板に、足利郡小谷村とある。
弁財天の脇から沢沿いを2分ほど登ると、西宮林野火災の跡がみられる。
根元が大きく焼けた木は、今後も倒木の危険がありそう。
エサを探しに来るのか、フンが落ちている。
例)火災以前に、西宮町の天狗谷「峠の細道」で遭遇した三頭の群れ。
弁財天からハイキングコースまで戻り「利根川水系 両崖二号沢」に沿って登って行く。
ハイキングコースにある神社の話し
ハイキングコース入口から1分ほど登った左手に、かつて武家屋敷が建っていたという場所がある。
今は杉林になっていて、屋敷が建っていた感じはしない。
神社跡地のようなところに、「長尾様」と呼ばれた長尾神社や天龍神の石祠があり、足利神習教丸信支教会の大きな記念碑はハイキングコースからも見える。
これらは両崖沢の対面にあるので、気付かない人も多いだろう。
室町時代、両崖山にあった城を改修して小屋城を建てたのが長尾景長。(古屋城・小谷城ともいう)
武家屋敷が建ち長尾神社を祀る小谷村には、山城のふもとに作られる城兵の集落(根小屋・根古屋)があったのだろう。
長尾景長は城の鎮守として、西宮長林寺の池のほとりに弁財天(長尾弁財天)を祀ったという。
また、西宮町にある本経寺には子安弁財天の石祠があり、台石に「長尾公 鬼門除」と刻まれている。
天狗谷のふもとにある本経寺の子安弁財天が「裏鬼門除け」として祀られたのであれば、城の北東側にある長尾神社や小谷弁財天は「鬼門除け」を担っていたのだろう。
両崖山の足利城には、小屋城の他に栗崎城ともいわれる。五箇村字栗崎にあった長尾弁財天からみれば栗崎城か。
長尾弁財天は廃仏毀釈によって、西宮長林寺から通6丁目に遷座し厳島神社に改称されている。
城主の長尾景長は絵の才能もあり、狩野派と呼ばれる画家集団をまとめた狩野元信とは師弟関係だという。
狩野元信印「富士参詣曼荼羅」(富士山本宮浅間大社蔵)は、元信の工房で描かれた大作。
林野火災後の様子
本城1丁目ハイキングコースの入口から3分ほど登ると、火災の跡が見られるようになる。消火活動によりここで火が食い止められ、住宅に被害を出さずに済んだことは幸い。
木の根元が焦げている。
ポリエチレン製の擬木丸太が溶けていた。
分岐点にあるプラスチック製の標識が溶けている。
地中で木の根が焼け、トンネル状の空洞になっているところも。
本城一丁目のハイキングコースを歩いてみて、危険だと感じたのは溶けたステップの1か所のみだった。
関東ふれあいの道に合流してすぐ近くにあった「丸太見晴台」は焼失。
焼け落ちた見晴台に替わる、テーブルやチェアを寄贈することを目的としたクラウドファンディングの広告が貼られている。
(両崖山復興プロジェクト 募集期間は4月29日まで)
火災前に、丸太見晴台から見た富士山(右奥)と足利富士山&足利の浅間山(左上)。
ここから眺めると渡良瀬川の対岸にある、足利富士山まで尾根続きのように見える。
分岐点にある石柱は、明治42年に大月村の人が奉納したもの。両崖山と同じく、大月村も御嶽信仰が盛んであった。
桜の木がある東屋は大丈夫。桜も咲いた。
東屋裏手の焼け跡。
足利城跡の東屋も、尾曳神社も無事。
どちらも裏手のすぐ近くまで焼けた跡がある。
「御岳神社(みたけじんじゃ 両崖山中)全焼」という足利市の発表に驚いたが、木曽御嶽神社(おんたけ)は異常なし。
向かって右手に建っていた天満宮は焼失。
左手に建っていた月讀命三日月神社も焼け、黒く焦げた額がご神体に立て掛けられている。
風が強く当たる場所なので、火力が増したのだろう。
焼け落ちた天満宮の石垣
三日月神社の扁額、ご神体も焦げている。
タブノキの様子も確認して、紫つつじの名所である紫山へ向かう。
栃木百名山 第97座 両崖山の標識。枯れ葉が積もっていた場所が焼けているよう。
天狗山ハイキングコースの手作り案内板も、焼け焦げていた。
一部が炭化したベンチ。
足利市は出火原因をタバコに起因するものと推定。森林被害額3千2百万円。
消火活動された方々の苦労を思うと、登山者のタバコは本当に恐ろしい。
歩いて来たルートを折り返して本城一丁目への分岐へ戻る。
分岐を東に下って行くと大月方面に、天道山や大坊山が見える。
余談1
「歴史のまちを望むみち」のスタート地点である月谷町の行道山浄因寺は、葛飾北斎の錦絵「諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし」に描かれた場所。
靴メーカーのキーンは、この錦絵をモチーフにした靴を今年3月より販売している。
防水のハイキングシューズは、インソールに錦絵の一部と落款がプリントされていて、江戸時代のおしゃれ感覚。
サンダルは沢水に足を入れて遊ぶのにもよさそう。
関東ふれあいの道を歩くのが、楽しくなる靴だと思う。
余談2
足利インターから大岩毘沙門天への抜け道になる「林道 大岩月谷線」は、西宮林野火災のため3月16日まで通行止めになっていた。
この林道にあるコンクリートのシミが、大岩山に向かって拝む姿に感じられた。
余談3
西宮町の天狗谷「峠の細道」は、天狗山ハイキングコースの下山道。両崖山や天狗山の山頂に近いルート。
天狗山の山頂には木札「天狗札」が置かれていたが、今年の1月で配布を終了した。
木曽檜材で作られる天狗札は、8年間で累計1万2千枚を超えたという。(2012年に書かれた「天狗山の会」のパンフより)
遠くカナダの山で、この木札を吊り下げたカナダ人登山者を目撃したという報告もあったという。(同パンフ)
海外で漢字の木札だから目に留まったのだろう。
表書きの「天狗山」には平仮名と漢字があり、裏面は「福天狗」の焼き印が押されたものと、手書き文字があった。
木札を見ると登山の当時を思い出す。
長期にわたる木札の制作、本当にお疲れさまでした。
なぜ、もう入手できない天狗札の話をするのかといえば、木札の入手目的で来る登山者が出ないことを祈るから。
登ってから終了に気付いても、怒ってポイ捨てなどしないように。