寶山傳行講社の冨士嶽神社にみる大橋平蔵
足利郡小俣村の酒造業 大橋平蔵氏の店舗に掲げられていた木製看板がインターネットのオークションに出品されていた。
天正2年(1574)に、近江国の鋳物師が下総国 市川に移住して醤油醸造を始める。鋳物師釜屋の田中喜兵衛が作る醤油蔵の屋号も釜屋。
釜屋が特約販売店である足利郡小俣の大橋平蔵のために作った木製看板。
大橋平蔵は看板が贈られる規模の店舗だったのだろう。
醤油の品質最上を表す「上」の字を商標に取り入れる「ヒゲタ醤油」や「ヤマサ醤油」とは違い、釜屋の商標は上の文字をデフォルメしたようなロゴになっている。
富士山信仰に篤かったという大橋平蔵だが、家業のために毎年富士登山をして金銀明水を入手する必要があったので、富士講の富士詣を支援するのは必定。
冨士嶽神社の富士講碑などに名前が残っている。
小俣町 冨士嶽神社の幟立て
明治44年の幟立てには「平造」とあるので、平蔵氏とは違うようだ。
神社境内の大きな富士登山三十三度碑(明治三十四年)
冨士嶽神社の奥宮(明治33年に遷宮した富士山石祠)
このほかにも奥宮の近くにある仙元宮石祠や奉納額などに平蔵氏の名前を見ることが出来る。
酒造人であり醤油の販売店でもあった大橋平蔵氏は、村民の食卓を支えてがっちり。