丸登講の冨士嶽石祠(足利市板倉町 冨士嶽神社)

富士吉田市にある富士講のマネキに「下野國梁田郡堀嶌邨 井下田登行忠明 講社中」がある。

『富士吉田の富士山信仰用具調査報告書』第2分冊 2/3   

https://web.fujinet.ed.jp/div/hakubutsu/pdf/fujisanshinkouyougu2_down_part2.pdf

上記の二つは同じURL。16/110ページのNo 915

 

梁田郡堀島村を分割して、堀込村・島田村に改称したのが明治15年5月20日なのでそれ以前のマネキ。

 

足利市島田町439-2の富士塚に、井下田登行の富士登山三十三度碑(井下田忠明碑 明治15年8月建)があり、それには現代風の講印が使われているので、上記のマネキは明治初期のものと思われる。

三十三度碑の裏面にある社中のひとつに「足利郡板倉村社中」あり。

足利市板倉町の冨士嶽神社には、マネキと同じ丸登の講印を使った冨士嶽石祠がある。

 

 

板倉町 社務所のような外観の社殿と、喜寿を祝って奉納した石鳥居。

 

冨士嶽石祠(本社)

 

台石正面にある丸登の講印(旧タイプ)

 

破風部にも丸登の講印あり

 

山の北斜面に建てられた富士浅間神社は、社殿奥の扉を外すと冨士嶽石祠が見える作りになっている。

社殿内の祭壇から石祠に拝礼すると、その延長線上の富士山に向かって祈りを捧げているという趣向。

 

冨士嶽石祠の背後にある山の南斜面には「富士山の見える丘」と称する富士山を眺めるスポットあり。

太田 金山は良く見えるが、富士山は気象条件次第。

 

必ず見えるわけではないので、山陰の神社から拝礼しても変わりない。

 

 

石祠や石鳥居の額は「冨士嶽」であるが、社殿内に富士浅間神社とあるので改称しているようだ。

        

明治15年には、富士登山を33回している丸登講社であったことを考えれば、「冨士嶽」から旧称に戻したのかも知れない。

 

 

 

 

 足利市にある神社について、Googleマップに投稿されていた田中小荷さんのクチコミが消えていて、もったいないオバケが出そう。心機一転って感じなのかな。