かつて大月町の仙元宮にあった社殿の万字

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足利市大月町の仙元宮神社 旧社殿の祭壇には
左右の壁に、右万字紋(逆万字)が施されていた。

正面の壁には、「 4世 月旺の御身抜(おみぬき)」が掛けられ
祭壇には、この神社に伝わる「赤富士御影」を祀ったのだろう。


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神仏習合の時代、この右万字は「仙元大日神」を表わし
祭壇内壁の左右に描くことで、両界曼荼羅を示したものと考える。

足利の周辺地域では、浅間神社のお宮や石祠に万字紋が見られるが
社殿の内部にまで万字紋が施されているは、この仙元宮だけ。


大月町の仙元宮の講では、藤紋と万字紋を使用したが
万字の紋は、「右万字」と「五つ割右万字」を併用していたようだ。

(これと同じ「五つ割右万字」は、黒万字講でも使用している。)



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旧社殿の屋根瓦には、「村上光清定紋」も掲げられていた。

江戸時代末、この神社に奉納された絵馬に描かれた「片手藤・左万字紋」とは
違いが見られるものの、大月の仙元宮を描いた絵馬である可能性は高い。



これら足利の富士浅間信仰を考える手がかりも、信仰が途絶えた多くの地域で
すでに失われてしまっている。

足利大月村で多く配られた護符「風先侎(ふせぎ)」や「御身抜」なども
県外に残されたもの以外、もう出て来ないのではないだろうか。

田中村にあった「長谷川角行直筆の掛軸」も、県外に持ち出されていたからこそ
今も残存しているのだと思われる。