足利 女浅間神社の富士講碑
富士山の世界文化遺産登録が実現しますね。
”おめでとうございます ”
女浅間の一の鳥居から参道にそって順番に見て行くと
4、金山提箸翁碑 明治41年
(安蘇郡飛駒村の提箸家は、天皇にお箸を献上したことから
提箸の姓を賜ったと伝わる、改姓前の名前は不明。)
この石碑の芳名には栃木県だけでなく、相州講中(東京都・神奈川県)
甲州講中(山梨県)とも刻まれる。
(安蘇郡飛駒村の提箸家は、天皇にお箸を献上したことから
提箸の姓を賜ったと伝わる、改姓前の名前は不明。)
この石碑の芳名には栃木県だけでなく、相州講中(東京都・神奈川県)
甲州講中(山梨県)とも刻まれる。
* 石碑側面に身禄の御詠歌
三国の 光のもとをたつぬれば 朝日に夕日 不二のゴウクウらく(富士の極楽)
月も日もふじ八(富士は)一佛一躰に 皆三国を照す御かがみ
三国の 光のもとをたつぬれば 朝日に夕日 不二のゴウクウらく(富士の極楽)
月も日もふじ八(富士は)一佛一躰に 皆三国を照す御かがみ
* 大月村 北辰一刀流の剣客 三之丞の名前あり
11、川上講 北東 登山一百度 明行光山 昭和26年
富士講碑に注目してみると、江戸末期のものばかりですが
昨年、足利美術館で企画展示された「足利の富士山信仰」では
開催初日に地元から持ち込まれた(角行・月ガン・月心・光清)の
御身抜4本、月ガンの大巻物2本が出てきたことからも
江戸で富士講が流行する以前から、足利には富士山信仰が
伝承されたきたことがわかります。
昨年、足利美術館で企画展示された「足利の富士山信仰」では
開催初日に地元から持ち込まれた(角行・月ガン・月心・光清)の
御身抜4本、月ガンの大巻物2本が出てきたことからも
江戸で富士講が流行する以前から、足利には富士山信仰が
伝承されたきたことがわかります。