北口御師 毘沙門屋さんの板マネキ
富士講社とは檀家関係を持ち、講員を相手に宿泊や食事などのお世話を生業とした。
(祈祷・お祓い・占いなど)を通して、富士の神様と信者との仲立ちをしていました。
大広間や神殿のカベには、目に付いた物だけでも44枚の板マネキがあり
栃木県足利郡の板マネキは小俣村と三和村の2枚のみでした。
しかし、新田源道純の知行地である新田郡宝泉村大字下田島内には
旗本 桑山家の知行地もあり、桑山家が知行する両毛五ヶ村の地頭役を
務めていたのが、足利郡大月村の名主でした。
現在の群馬県太田市で収穫した桑山家の年貢米も、足利郡大月村の名主を通して
渡良瀬川の猿田河岸から江戸へと送られていたわけです。
44点中の32枚が北関東の万字講のマネキです。
赤万字31枚(右卍が25、左卍が6枚 )
白万字 1枚
新田源道純の知行地がある、群馬県新田郡のものが21枚と得に多く栃木県足利郡の板マネキは小俣村と三和村の2枚のみでした。
旗本 桑山家の知行地もあり、桑山家が知行する両毛五ヶ村の地頭役を
務めていたのが、足利郡大月村の名主でした。
渡良瀬川の猿田河岸から江戸へと送られていたわけです。
富士山信仰が盛んな新田郡と、古くから富士山信仰が伝わっていた足利郡の
大月村とは、信仰の上でも互いに影響を受けていたのかも知れませんね。
大月村とは、信仰の上でも互いに影響を受けていたのかも知れませんね。