登録名称「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」として、
世界遺産に登録された 6月26日から
今日で半年。
栃木県
足利市からでも、白い富士の山頂がはっきり見えるベストシーズンになりました。。
富士山信仰に興味はないという方。 夏に登山したから、富士山はもういいかな~。と考えている
方々のごく身近なところにも、
世界遺産につながるご当地富士が眠っているかも知れません。
たとえば、足利の村上講の話。
世界文化遺産 構成資産のひとつ、
静岡県 人穴富士講遺跡にある村上講の石碑塔には
足利の村上講社を見ることができる。
栃木県足利郡 樺崎村講社
同県同郡 大月村講社
古くなってしまった村上講の石塔を、
長谷川角行の法脈 14世が
明治19年に再建したもの。
20講以上の講社名のなかには、東京 神徳講社や
多摩郡 檜原講社なども見られる。
(ちなみに、戦前ですので樺崎村は「椛崎村」。)
明治になり、12世 村上徳永の門人が立ち上げた 村上神徳講のマネキ。
15世から16代 妙清に。(元祖御法家の紙マネキ)
世→代は、お家騒動もあったとかなかっとか
静岡県 人穴にある御法家(富士御法教)に描かれる藤紋。
これらの藤紋について富士吉田で聞くと、村上藤丸講の講紋とか、藤の丸講の紋であると言われます。
村上光晴の
定紋とも言われる、この藤巴紋を見て個人的に感じるのは以下のイメージ。
藤=冨士山(藤山)
藤山 藤八戻
富嶽の神風などは、
富士講古文書などに見られる言葉です。
足利市に伝わるオミヌキには、「八戻の風」で終わる詩歌が見られ、
これは
富嶽の神風に相当するものだと思います。
足利では、
定紋は使わないという旧家の話を聞いたことがあるので、
村上光晴の
定紋が藤巴紋であっても、自身は替紋を使ったかも。
足利の大月・樺崎の両村が登場する、
天明3年の巻物「月ガン居士公事の巻」も、意外と
事実の部分があるかも知れませんね。