足利大月村と富士山御師

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足利大月町 東耕地 仙元宮神社

安政2年(1855)村上講 奉納の水盤




水盤の奉納者連名にある福地姓は、村上派の影響が強い足利市大月町や佐野市高山町に見かける。




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仙元宮内にある村上講の藤紋は、扶桑教少講義 福地氏の板マネキ。





このほか、福富町の卍講でも福地氏を見ますが、これらは山梨県富士上吉田の旧称「福地村」から
来ている地名姓なのか、ただの偶然なのかは不明。






 大月町には、市指定重要文化財の古文書(3520点)があり、文書の記録から嘉永安政年間に
足利大月村に来ていた富士山御師は、小沢久太夫であったとわかる。

太夫は、上吉田中宿 東町の北口御師。明治初期には廃業しており現存しない。
現存する御師中雁丸の近く(左友~しきだや付近)に宿坊を構えていました。


 嘉永6年2月には、久太夫の伜利太郎が名代として大月村を訪れている。この7年後は富士山御縁年
ですので、庚申年が近づくにつれ、檀家参りも徐々に忙しくなったことでしょう。




この古文書は、大月手紙の会により文書目録(非売品)になっており、いくつかの図書館で閲覧
することができるようです。







太夫(目録内の資料番号 956・1736・3266)