天道山 江戸に渡った不思議な鏡

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足利の南大月の山を眺めると、浅間山や両崖山からも、松田ダム反射板鉄塔の白ボードが見えます。


 戦前には、県内の約200ヶ所で行われた天祭。大月村でも「天ノ祭」を行った山が天道山です。



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山頂には日月神社の立派なお宮が建っていましたが、昭和58年2月23日焼失してしまいました。


 明治の地誌取調書に見る 日神社・月神社は、どちらも現在は石祠になっている。



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 山には大きな鏡岩。


そしてこの山には、夜になると光を放つ不思議な鏡の話しが伝わっています。


『 続々足利の伝説(台一雄、岩下書店)第七話 』

 明暦年間(1655~57)助戸村の木こりが山で神鏡を見つけて持ち帰ると、その晩に鏡が光だす。
 数年後、木こりは江戸の武家屋敷へ奉公に出ることになり、鏡をもって行った。すると江戸では
 天候不順がおこり、その原因を占うと、鏡が山に帰りたがっているためであるという。
 この鏡は江戸の町で話題となり、寛文元年(1661)安藤氏が天道山に建てたお宮に祀られたという。






それから22年後、足利大月村に訪れ布教活動を行った角行の法脈4世 月ガン・後の5世 月心が、
江戸の切支丹御奉行に、お取調べを受けることになった。


 足利樺崎村・大月村の信徒からも入牢される者が出て、生国大月村の権左衛門の取調べでは、
「月ガンの家の持仏堂には、不思議な鏡があると言うが見たことがあるか。」とのお尋ねがあり、
「不思議な鏡などは見たことはない。嘘だと思うならば使者を遣わしご覧になってください。」と
 いうようなやり取りがなされたという。


4世月ガンの持仏堂にあると疑われた不思議な鏡について、大月村の者にお尋ねになったことは、
かつて江戸の町で話題になった、大月村の不思議な鏡との関係を感じさせます。


足利を訪れた月ガン・月心は、日光行道山・出流観音(栃木市)・天もり山を見て回ったというが
足利周辺に、天もり山という名の山はなく。これは「天もり山=天守山=天道山」だろうと考える。



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この山には、亀にも見える大きな岩や鏡岩のほか、人工物では水盤・歌碑・石灯篭があり。


 一基だけ建っている石灯籠には、笠石に三つの紋が彫られている。


南面に彫られている旗本 真田家の六連銭は、歴女にも人気がある家紋のひとつでしょう。
また灯篭正面には巴紋、北面には旗本 桑山家の桔梗紋があり、旗本のコラボ作になっている。



平将門を祀る家などでは、着物の柄であっても桔梗のデザインは避けられたというが、
旗本の家紋が桔梗であるなどは、誰も気に留めなかったでしょう。




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弘化2年に建てられた歌碑が、倒れて枯葉の下に埋まっています。

 この歌碑に詠まれているほど、壮大な山という感じは受けませんが、大きな鏡岩のある
天道山からの眺めは、忘れられない景色であるという気持ちはわかります。


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 天道山頂より





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足利では、高速道路の動物飛び出し注意の看板がイノシシの絵になっているほど。
山のふもとでは、イノシシ用のわなを良く見かけます。

天道山で祀られていた 胎蔵界大日如来坐像(仙元大日)は、現在は他の町内にあるお寺にて
お祀りをされている。東の京都と呼ぶのにふさわしい景観と歴史を持つお寺へ移されたことは、
防犯の面から考えると、大変喜ばしいことだと思います。



 仙元大日の頭に乗っている日章を見ていると、三日月のデザインも感じます。
 天道山・日月神社などから考えれば、これは日月紋であるのかも知れません。 

 
 仏の身体に備わる特徴のひとつである、髪色如青珠(毛髪は青色)である上に、
 髪留めが白い色なので、まるで富士の冠雪のようにも見えてきます。


 白色の顔料である胡粉がこぼれ落ちたのか、白色と青色のグラデーションがさらに
 それっぽく感じさせています。