足利図書館 秘巻の霊統展にみる舞具

県立足利図書館の展示室にて開催されていた「足利の富士講 秘巻の霊統展」


土日・祝日は、午後5時までとのことで、閉館前だったので一回り見てチラシをもらい帰ってきた。



足利に伝わる 御身抜きが7点に増え、御伝え や 祝詞なども加わり、以前に足利美術館で見た史料よりも
さらに充実した展示内容になっていました。




特に、久保田町の「村芝居背景ふすま絵」が展示されていたのには驚きました。
これは、いまでも開帳祭が行われている浅間神社の舞具だったものです。

  襖絵 12箱 240枚(両面に絵)
  障子 3箱 27枚
   幕 2箱 多数 

現在は足利市に預けられていますが、合計12箱と膨大な量があり、これらを背景としてお面を付けて舞ったという。


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毎年の例祭のほか、60年に一度の庚申年は 開帳
         60年に一度 庚寅年には 半開帳 が行われており

むかしは集会所のところにあった建物で、地芝居(農村歌舞伎)をしたそうです。

舞具の入った箱書きには、寛政6年(1794)の銘もあるので、寛政12年(1800)の庚申年のお祭りでも
舞が奉納されたのでしょう。

*ただ、30年ごとのお祭りだけで舞われていたのでは無いのでしょうし、依頼により出張もしたという。




富士吉田市にみる吉田歌舞伎も、江戸後期に富士講信者により伝えられたと言われているので
コノハナサクヤヒメを芸能の神様として祀る、芸能浅間神社などがあってもなんら不思議ではない。



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この神社の灯篭には、天明8年(1788)とあり、その60年後の嘉永元年(1848)には社殿の修理をしている。
また、立像が奉納された享和元年(1801)は、庚申年の翌年であり、ここでは庚申年を基準として祭りの準備や
神社の整備などがすすめられていたのだろう。


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足利で見る山田氏がらみの富士登山33度碑は、古くて天保10年(田中町)新しいものでは大正2年(田島町)が
あるが、こちらにある石塔は、富士登山30回目のころであった 天保7年(1836) 長嶋氏 が建てたもの。

当然これらよりも富士山信仰の歴史は古いのであり

その時代の背景を絡めて見れば、演劇部が学園祭で作った書き割りのような最初の扉絵も、江戸時代からつづく
地芝居の歴史があり、大正9年の庚申年開帳で実際につかわれた祭具でもあったわけです。