200年ほど前の芝居騒動と、冨士山舞具を見ていた?足利学校19世

県立足利図書館で公開されている「足利の富士講 秘巻の霊統展」の襖絵は、2月1日から入れ替え展示されるようです。


この襖絵が浅間神社の社地に伝わっていたのでなければ、絵師英悦さんの絵と言うくらいにしか感じなかった訳ですが

大昔の足利学校の領民がおこした芝居騒動と久保田町浅間神社の奉納芝居。

この2つの芝居を見ていた(聞いていた)当時の人々を想像する役にたつと思う。



 200年前の話しをする前に、今月中に話しておいた方が気分が良い300年ほど昔の、お寺の話しから


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久保田町浅間神社に程近い、玉林山本源寺は、鎌倉時代開創と伝わる 臨済宗 建長寺派のお寺です。


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本尊の延命地蔵菩薩像の厨子には、「癸 元禄六年 酉 霜月廿四日」( 1693年11月24日 )の銘文があり
あえて旧暦でいえば、今月(2015年)1月14日からみて、321年前の日付。


京堀川の大仏師 法橋 福田康圓作との銘があり、その仏師が想定した拝観位置はこのあたりでしょうか


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歴代住職の表にある、本源寺 第21世・22世が、足利学校の庠主(校長)第19世と20世になっています。


仏教を伝えることが目的でないのが足利学校ですが、京都南禅寺派のお寺でしたので校長もお坊さんです。
入学した学生も僧籍になるので、学費が無料というのも納得です。



 以前、足利学校を見学していた時に、家族連れのお父さんが「ここのどこが学校なんだよ!」と、急に大きな
声をあげられたので、びっくりした経験があります。頭の中にどの時代のどんな学校を思い描いていたのか
わかりませんが、「なんだか子供がかわいそうだな~」と…
教材と学生と教師がそろえば、そこが野原や河川敷でもいいわけで、しかも徳川幕府公認だったのですから。



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 久保田町浅間神社の入り口にある石灯篭には、天明8年(1788)とありますが

今回は、その翌年の(寛政元年)に起こった、足利学校領内での芝居興行にまつわる騒動の話し。


久保田村 本源寺の住職 実巌宗和が足利学校第19世庠主になったのが文化元年(1804)ですから、それよりも
15年前、足利学校第18世 青郊元牧(庠主就任 天明7年~)の時代。


 足利学校の領民から18世に、五穀豊穣祈願のため、三日間の買芝居の興行をしたいと願い出があった。
  (地方廻りをする旅役者の一座を買って、歌舞伎を上演してもらうと言うもの。)


18世は、先例がないとして足利学校領内での芝居興行は認めなかったので、領民たちは学校領の外の
助戸村にて芝居をするという事で18世の許可をもらった。

興行は三日間との約束であったが、採算が取れないため一日延期したいという領民と、それを認めない足利学校
いさかいとなり、18世は前庠主の17世および戸田家や江戸金地院と相談して、寺社奉行所へ報告をする。

奉行所では、問題として取り上げるほどではないとの判断であった。



宮地芝居などを支配していたのが寺社奉行であり、庶民に倹約を強要した寛政の改革では、地芝居に対する幕府の
弾圧は厳しかったそうですが、まだ寛政元年の奉行所では、よくある事案としてあしらわれていたようです。


18世庠主が一番恐れていたのは幕府とトラブルを起こすことだったと考えますが、寛政3年(1791)に幕府から
足利学校修復費として200両が下賜されている。

多額の修繕費用を幕府に頼るしかない足利学校としては、たとえ一部の領民の反感を買うことになっても
学校領内での芝居興行などという余計なことは、認められなかったのでしょう。



 今回の芝居騒動にも出てくる前17世庠主 千渓元泉が推薦した、久保田村 本源寺の住職 実巌宗和が、
幕府の任命を受けて学校第19世庠主になりました。

その後の足利学校領内で、芝居が行われたかどうかはわかりませんが、天下泰平・五穀豊穣を祈願する
民俗芸能として地芝居に理解を示したことでしょう。学校領内での興行を認めたかどうかは別問題ですが。




県内にて現存する歌舞伎に、 栃木県無形民俗文化財の牧歌舞伎がある。

常盤神社・秀林寺で上演されていたようですが、葛生牧地区では昭和40年代まで、数え7歳になるこどもが
水垢離をした後に、地元の浅間山に登るという祭事が続いていたという。


また、足利周辺には、舞台の襖絵や組立式舞台が残っており、やはりそれらの地域にも浅間信仰のあとがある。
庚申年や庚寅年と絡めて見ると、興行収入で買い替えたのかと想像するようなものもある。それらすべてを
浅間信仰と結びつけたい訳ではないが、天下泰平・五穀豊穣を祈願する民俗芸能との相性は良かったと思う。


「麦はいつまく、芝居はむまく」(いつまく?が五幕と六幕に掛かっている言葉遊び)と聞いたことがある方も
今ではもういないかもしれない。



本源寺さんの本堂で見る、湊素堂老師の書

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春夏秋冬 日光は平等に射し 月は清らか

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疑られるようなことはしないように