渡良瀬川 北猿田の話し



 北猿田河岸にあった石灯篭がJR足利駅に近い伊勢神社の境内にある。 嘉永2年(1849)に、河岸問屋「問忠」が建てたもの。
 
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       竿には安全と繁盛を祈願した三柱あり
    大杉大明神・天照皇大神宮金毘羅大権現
 
大杉大明神と金毘羅船々シュラシュシュシュの金毘羅大権現は船神さまであり、利根川水系・太平洋・瀬戸内海の意味合いがあるそうだ。


台石に刻まれる名も江戸だけでなく、安房・相模・名古屋・近江・大阪・京都までみられ、広範囲に商いが行われたことがうかがえる。




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北猿田の河岸問屋「問武」を描いた明治時代の版画をみると、富士山が良く見える。
川の上流には福富村南猿田・岩井山・浅間山渡良瀬川で村が分断された田中村は梁田郡へ統一されている。
 
渡良瀬川の流れが浅間山に当たって出来た淵には、龍が住むと考えられていた。
浅間山浅間神社は云うまでもなく、南猿田には卍講の石祠、岩井山には川上講(扶桑教會)の石祠がある。

 
また絵に「ASHIKAGA-GORI(足利郡)」「KITASARUDA」とあり。
岩井山赤城神社の石碑には、問屋主人の小泉武八郎の名と共に「サルダ」と刻まれているので「KITASARUDA」で間違いない。
 
足利にある江戸時代の庚申塔に「さるたかし」や「さるたかしみち」と刻まれた道標が見られるが、これも「さるだかし(猿田河岸)」と読むのだろう。
 
 のちの堤防の川幅を広げる河川改修により、この絵に描かれた河岸問屋も含めて一帯は河川敷になっている。南猿田も南端の木の数軒を除いて移転対象となり河川敷になった。
 
 
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 上之宮神社の扁額 揮毫は宇都宮藩最後の藩主であった戸田忠友 (大正時代)

北猿田の旧村社 上之宮神社の祭神は、伊弉諾命(いざなぎ)・伊弉冉命(いざなみ)・瓊瓊杵命(ににぎ)の三柱であったが、明治の初めに徳蔵寺よりも東にあった下之宮を合祀したため「天照大神木花開耶姫猿田彦大神」もあわせて祀られている。下之宮で祀られていた木花開耶姫が来たことで夫婦神そろうのであるが、どういうわけか現在は瓊瓊杵命だけがハブられてしまっている。
 
天照大神は「問忠」の灯篭の例からすると、河岸の水運を祈願していたのかもしれない。


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 境内に「岩永姫命」(冨士小御嶽神社)や「烏帽子磐 身禄霊神」(富士山7合5勺)の石碑。


 
 絵の中では上流右手に見える岩井山には赤城神社あり。
かつて岩井山の赤城神社は、岩井村の中にあって勧濃村の飛び地であったという。祭神は、磐筒男命・磐筒女命。

 
 ここで少し祭神の関係を神話で説明すると


伊弉諾命(いざなぎ) 父 
伊弉冉命(いざなみ) 母 
天照大神(あまてらす)娘 *伊勢神社に祀られる(天照皇大神宮
瓊瓊杵命(ににぎ)娘の孫 *星宮神社・母衣輪神社などで祀られる
木花開耶姫    孫の嫁 *浅間神社で祀られる
磐長姫(いわながひめ)嫁の姉 *冨士小御嶽神社などで祀られる
猿田彦大神) *孫を出迎えて先導。猿田村の由来とも(諸説あり)
軻遇突智(かぐつち) 息子 *母に火傷を負わせ父に斬り殺される
大山祇神        *息子が切り殺されたときにうまれる。嫁の父
磐裂神・根裂神     *殺された息子の血よりうまれる。明星(金星)
磐筒男命・磐筒女命 *磐裂神・根裂神の子。岩井山の赤城神社など
経津主神         *磐筒男命・磐筒女命の子。夜中の明星(木星
金山彦命)           *火傷に苦しむ母が吐いた嘔吐物よりうまれる                   金山神社などで祀られる。鉱山・鍛冶神


神武天皇(じんむてんのう) *瓊瓊杵尊の曾孫                         
 令和元年




 *渡良瀬川の洪水で村が分断されたことで田畑も分かれてしまい
  「去る 田」と呼ばれたとも聞く。日本中に猿田村が出来そうな話し