丸登講社の富士講碑

画像左上の足利市板倉町 冨士嶽神社から9.2Km、足利市島田町に丸登総社の富士塚あり。

 

左側の赤っぽい富士登山三十三度碑が明治15年8月、右の大きな石柱が富士登山五十度碑で明治33年7月に建てられたもの。

18年間に十七度の富士登山が行われているので、単純に考えた場合(明治15年の33年前)嘉永2年には丸登講を作る井下田登行が富士登山を始めていたか。

 

 

江戸時代から富士講の行者であった井下田登行忠明は、明治3年の神仏分離の時に、村社 稲荷大明神神職になる。

 

稲荷神社の氏子は丸登講の講員。登行の稲荷神社は富士守稲荷社の代わりにもなったか。

 

 

 

 墓地の富士講

富士塚近くのお寺に、井下田登行の墓がある。

 

正面に諡(おくりな)が刻まれた墓碑の裏面には「丸登講社中 / 嶋田村中建」とある(明治37年

 

明治維新後の神仏分離により神職となり、明治15年堀島村廃止により島田村へ。明治29年梁田郡廃止により足利郡へと変わってゆく時代に村社の神主を務めた井下田登行。

 

神社や富士塚に建てられる顕彰碑よりも、墓碑はかたずけられてしまう可能性が高いかもしれない。

 

 

余談

登行没後の明治44年に現在地へ遷座した村社 稲荷神社。

 

境内にある湯殿山石祠には、三十三度と刻まれている。

 

山形県湯殿山まで三十三回も訪れるのは大変。

記念に石宮を建てるのも納得。

出羽三山湯殿山を祀る、足利の湯殿山でも疲れそう)

 

 

足利から富士山 高速道路を使って3時間20分(234㎞)

足利から湯殿山 高速道路を使って4時間20分(370㎞)

 

 

 

 

稲荷神社の社殿にある、日露戦争へと出征する軍人の武運長久を祈願した奉納額(明治38年

 

突貫ごり押しで戦う日露戦争の映画『二百三高地』を鑑賞するだけでも恐ろしい。他国で戦い勝利で終えた戦争。

 

対露戦の冬季訓練(明治35年)をもとにした映画『八甲田山』も痛ましい。雪山は怖い。

 

この時に八甲田山の雪中行軍を成功させた弘前三十一連隊も、日露戦争二百三高地で全滅している。

日本で凍死 or 異国の激戦地で戦死。戦争は怖い。

 

 

 

 

 

となり町の除厄姫稲荷神社にも富士塚

こちらは塚という感じはしないかも。丸登講社のフジモト社中(足利市藤本町91番地)

 

 

上野国との国境であった矢場川。姫稲荷神社の旧称が上野想社。