2022-01-01から1年間の記事一覧

足利市にある金山清行の石造物 3

1 石尊山(田島町・名草中町)赤萬字石祠 2 本覚山(名草下町)扶桑教大神石祠 明治10.5 3 本覚山 第壹世管長宍野大我報恩碑 明治35.9 4 女浅間山(田中町)金山提箸翁碑 明治41.12 明治35年9月(1902)建てられて120年経つ神剣。碑文は神道扶桑教管長 宍野…

足利市にある金山清行の石造物 2

1 石尊山(田島町・名草中町)赤萬字石祠 2 本覚山(名草下町)扶桑教大神石祠 明治10.5 3 本覚山 第壹世管長宍野大我報恩碑 明治35.9 4 女浅間山(田中町)金山提箸翁碑 明治41.12 『栃木県の中世城館跡』(1982)の本覚山城略測図を見ると、南の山に富士嶽…

足利市で見る金山清行の石造物 1

1 石尊山(田島町・名草中町)赤萬字石祠 明治6年 2 本覚山(名草下町)扶桑教大神石祠 明治10年 3 本覚山 第壹世管長宍野大我報恩碑 明治35年 4 女浅間山(田中町)金山提箸翁碑 明治41年 石尊山には大正時代まで人が住んでおり、御祭りは賑わったという。…

足利市本城町の富士講碑

足利町の北部(足利市の北部ではない)本城村を昔は「あけしの里」といった。 本城一丁目に、山頂の岩を富士山に見立てた山あり。本城では富士山と呼ぶ。 昭和38年から始る「足利駅前土地区画整理事業」により、足利学校の東にある善徳寺の墓石(3408基)が…

金山清行 山林斗藪の奇人

金山清行(1824‐1909)は江戸末期から明治時代に、赤萬字講や扶桑教などで活動した宗教家。富士登拝七十五回。外八海修行。 文政7年 近江彦根藩領の下野国安蘇郡上彦間村塚越生まれ。塚越は小字ではなく屋号だという。 幼名 傳十郎 通称 提箸清七 雅号 木花 …

丸登講社の富士講碑

画像左上の足利市板倉町 冨士嶽神社から9.2Km、足利市島田町に丸登総社の富士塚あり。 左側の赤っぽい富士登山三十三度碑が明治15年8月、右の大きな石柱が富士登山五十度碑で明治33年7月に建てられたもの。 18年間に十七度の富士登山が行われているので、単…

丸登講の冨士嶽石祠(足利市板倉町 冨士嶽神社)

富士吉田市にある富士講のマネキに「下野國梁田郡堀嶌邨 井下田登行忠明 講社中」がある。 『富士吉田の富士山信仰用具調査報告書』第2分冊 2/3 https://web.fujinet.ed.jp/div/hakubutsu/pdf/fujisanshinkouyougu2_down_part2.pdf 上記の二つは同じURL。16/…

足利市大月町の天道山から見る足利花火大会

足利市田中町の上浅間神社(男浅間)から見た花火大会を、足利市大月町の天道山から見る。 天道山には整備された登山道がない。 足元を照らす照明の確保。蜘蛛は短時間で巣を張るなど、夜間登山の注意点がわからないと日中の登山よりも道迷いになりやすい。…

打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか(足利市田中町 上浅間神社)

第100回足利花火大会の夜に、田中町の上浅間神社に登って見た時の話。 上浅間神社の登山口より 花火の打ち上げ場所は田中橋の下流、渡良瀬運動公園および河川敷。 渡瀬川に架かる橋は、上浅間神社麓の渡良瀬橋・中橋・田中橋となり、距離があるため仕掛け花…

足利花火大会と織物業者の商標に見る富士山

明治36年創始 第106回足利花火大会が開催。 例年よりも45分短縮されて、2万発を60分で打ち上げるので、渡良瀬川上空の風向きと煙が心配。 平成7年の足利花火大会は、開始直後から降り出した雨により50分連続打ち上げとなった。あの年と同様に迫力のある大会…

足利市小俣町冨士嶽神社の奥宮(群馬県桐生市菱町一丁目米沢浅間神社)  

明治33年(1900)小俣村の寶山傳行講社が、足利郡菱村米沢の雷電山に奥宮を建てる。40数年前は足利郡米沢村の山であった。 下野国足利郡米沢村は、安政年間(1854‐1860)に村を二分して、小友村と小俣村に併合し消滅。小友村は明治8年に黒川村、明治22年に菱…

足利市小俣町の冨士嶽神社 登山三十三度碑

足利市小俣町の冨士嶽神社にある明治34年(1901)登山三十三度碑は、33回の富士登山をへて大先達となった二代目寶山傳行の記念碑。 主な碑文は表面に 大先達寶山傳行 登山三十三度碑 東毛山下允升拝書 (裏面) 富士北口吉田 中教正佐藤嗣根 寶山傳行風崇信…

大岩毘沙門天の毘沙門天像 修復のため京都へ

デジタル勧進(クラウドファンディング)で全国より2538万8259円の修復資金が寄せられ、毘沙門天像が京都へと移される。 修復された毘沙門天像の出開帳は数百年先か? 足利のとあるお寺で、修復作業で色彩まで復元された仏像を見て残念に思ったことがあり、…

寶山傳行講社の冨士嶽神社にみる大橋平蔵

足利郡小俣村の酒造業 大橋平蔵氏の店舗に掲げられていた木製看板がインターネットのオークションに出品されていた。 天正2年(1574)に、近江国の鋳物師が下総国 市川に移住して醤油醸造を始める。鋳物師釜屋の田中喜兵衛が作る醤油蔵の屋号も釜屋。 釜屋が…

富士山山頂の金明水・銀明水で作ったお酒の話

北口本宮冨士浅間神社の御祭神である、木花開耶姫命と大山祇命は酒造の神様でもあるという。 父神を酒解神、その娘の木花開耶姫を酒解子神と同じであるとするもので、京都の梅宮大社では、酒解神・酒解子神・夫の瓊瓊杵尊・息子の彦火火出見尊の四柱を御祭神…

北口本宮冨士浅間神社で見る足利の富士講 その2

北口本冨士浅間神社の参道は、空間デザインにより空気感まで違って感じる。 同じような石灯篭が並んでいるが、村上光清の藤紋などを見比べながら進むと石工の技量や個性が見られて面白い。 三国第一山の大鳥居をくぐり進んだ先にある拝殿には、歴史を感じる…

北口本宮冨士浅間神社で見る足利の富士講 その1

棋士の藤井聡太五冠が、富士山の何合目まで来ているかと問われて「森林限界の手前」と回答。合目で例えないところがお洒落。 八峰ある富士山頂上で八冠という意味も含めた質問か。 温暖化の影響で森林限界は少しづつ上昇しているという。富士山では五合目付…

御師の家「毘沙門屋」と足利の富士講 その2

毘沙門屋の寄付連名額に見る富士講の有力者 明治10年に寶山傳行が開講した富士講が毘沙門屋に寄付をした時の奉納額。先達2名が行名を使っていないことから傳行を含めて行名をもつ藤行・羽行・三行・久行・真行などから代替わりした頃のもの。 世話人の大橋…