北口本宮冨士浅間神社で見る足利の富士講 その1
棋士の藤井聡太五冠が、富士山の何合目まで来ているかと問われて「森林限界の手前」と回答。合目で例えないところがお洒落。
八峰ある富士山頂上で八冠という意味も含めた質問か。
温暖化の影響で森林限界は少しづつ上昇しているという。富士山では五合目付近なので、その手前なら吉田口でいうと冨士守稲荷社(中宮)辺りか。これより上は神仏の聖域とされていた。
日差しも強く、強風にさらされるようになるが、藤井五冠の活躍に期待したい。
古い石灯篭が並んだ参道。
鳥居をくぐって最初の段差があるところの左右に足利大月村の村上光清同行が、元文3年(1738)に奉納した一対の御神燈があり、灯篭の手配を御師の猿屋又右衛門が行っている。猿屋の屋号は吉田御師の申屋を連想する。
284年前の石灯篭に刻まれた文字は薄くなり、目視では確認できるが撮影した写真からは読み取れないので、文字を撮影するために時間をずらして再訪。
八代将軍吉宗の時代から風雨にさらされていれば、文字が薄くなっても仕方ない。
話は変わるが、今月21日で足利の山火事から一年になる。
想像以上に山火事は燃え広がり、昨年の富士山の日に急遽「大岩毘沙門天」の文化財避難が行われた。緊急避難であるため、傷んでしまった文化財もあり、今月から修理費用のためのデジタル勧進が始まっている。毘沙門天像修復にご協力していただける方が増えることを祈ります。