2019-01-01から1年間の記事一覧

渡良瀬川 奥戸の余談

足利市奥戸町の仙元宮から西に歩いて行くと、渡良瀬川の土手を上る階段があり、その手前に大日尊と天照皇大神宮の石造物、階段を上ったところには水神宮の石碑がある。 ここからは尾名川水門・出流川水門・多田木山が見え、 渡良瀬川の上流を見ると袋川水門…

渡良瀬川 奥戸村の仙元宮の話し

足利市奥戸町の集会所に、大きな仙元宮の石碑と卍講の 石祠がある。 地区内の石碑の一部が集められている感じ。 石碑の台座には、溶岩と河原の石が埋め込まれている。 卍講の石祠は、傍示塚村の荒井仰行を先達とするもの。 近所にお住いのシュクさんにお話し…

渡良瀬川 岩井山の余談 千年寺・乳房地蔵・長谷川角行

岩井山千年寺の話し 千年寺は黄檗宗黒瀧山不動寺(群馬県甘楽郡南牧村)の末寺であったが 明治7年に廃寺を申請、本尊の釈迦如来像は臨済宗の寺院に移された。 千年寺跡地にある廃屋は、のちの個人宅が倒壊しかけているもの。 ここには、六地蔵などの石仏・石…

渡良瀬川 岩井山の話し 赤城神社・金刀平神社・浅間神社

岩井山は古くは勧農山と呼ばれ、勧農城址がある。 岩井村も古くは十念寺と呼ばれるところにあったが、渡良瀬川の洪水被害により勧農山へ移った。 岩井山には、赤城神社・金刀平神社石碑・浅間神社石祠あり。 明治十年代の三社の(社掌・祠掌・神官)は同一の…

渡良瀬川 南猿田の富士講碑

旗本領であった南猿田村は明治8年(1875)塩嶋村・神明村などと合併 して梁田郡福富村となる。 明和8年(1771)に南猿田河岸が出来て栄えた村であった。 渡良瀬川河川改修により移築した鎮守の八幡宮境内には、地区内に あった小祠などがまとめられている。 …

渡良瀬川 北猿田の余談

天明の災害 水運関係者にとっての火山の恐怖とは、天明3年(1783)浅間山の噴火だろう。足利でも数日にわたって砂が降り、昼も暗く、田畑が埋まったという記録がのこる。砂が降るという天変地異と天明飢饉、利根川の河床上昇による洪水など災害が続いた。渡…

渡良瀬川 北猿田の話し

北猿田河岸にあった石灯篭がJR足利駅に近い伊勢神社の境内にある。 嘉永2年(1849)に、河岸問屋「問忠」が建てたもの。 竿には安全と繁盛を祈願した三柱あり。 「大杉大明神・天照皇大神宮・金毘羅大権現」 大杉大明神と金毘羅船々シュラシュシュシュの…