渡良瀬川 奥戸の余談

足利市奥戸町の仙元宮から西に歩いて行くと、渡良瀬川の土手を上る階段があり、その手前に大日尊と天照皇大神宮の石造物、階段を上ったところには水神宮の石碑がある。

 

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ここからは尾名川水門・出流川水門・多田木山が見え、

渡良瀬川の上流を見ると袋川水門も見える。

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渡良瀬川に旗川が合流して水量が増えることで、舟を使う河岸には適していた。川の合流が多い土地柄から台風など渡良瀬川や旗川の増水時にはバックウォーターのおそれがある。

 

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 奥戸堰の記念碑

 

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出流川の上流、多田木町にある奥戸堰(2014年6月撮影)

 

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先月の台風19号後の奥戸堰。この台風時に出流川では、バックウォーターによるものと考えられる堤防の決壊が起きている。

 

台風で避難する車のドライブレコーダーの記録(これ死ぬわ)から、10月12日の20時30分ごろには出流川が越水していることがわかる。5時間後の13日1時30分に国交省が尾名川と出流川の水門を閉じた。

水門が閉められたことで流れてくる川の水位は増すことになるが、バックウォーターによる被害の拡大を防いだ。

 

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奥戸堰の前には、昭和10年に旗川筋水害予防組合が建てた記念碑がある。(2014年6月撮影)

 

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出流川の越水で石碑の裏側が洗堀されていた。

 

記念碑には「足利郡富田村は東方旗川に南方渡良瀬川に臨み年々洪水の惨禍・・・」など、渡良瀬川・旗川・出流川による水害について記されている。

先月の台風19号では、記念碑の下流にて堤防が決壊しているので、記念碑がここに建つのにもそれなりの理由があるのかもしれない。

 

 

 只木山と富士山

 

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奥戸堰前にある多田木山は、戦国時代に長尾顕長が佐野宗綱と交戦した只木山であるという。また、明治期の地図にはこの辺りに富士山と記されているものがあるが、かつてあった寺の山号が富士山なので、その名残かと思う。

足利領主の長尾顕長は、刀剣「山姥切」の所有者で刀工国広にその写しを作らせた人。この二本の山姥切の銘にある平顕長。

 

 

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多田木山の西側にある卍紋のある祭神不明の石祠は、東側のピークを眺めるには良いところにあるので、浅間神社だと考える。

 

 

 奥戸の半鐘

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奥戸町の集会所にある半鐘は、享保8年(1723)奥戸村観音寺のもので、佐野天明の鋳物師 新井源七郎の作。

鐘をたたく撞座の摩耗を見ていると、災害時に打ち鳴らす人の姿を想像する。

 

現在の水門ではなかった時代は、川の増水時に村の人が水位を見て水門を閉めることになっていた。カスリーン台風の時にも半鐘が打ち鳴らされたという。

 

 

 尾名川と迫間湿地

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奥戸町の磯橋と尾名川

普段はこんな感じ。「磯」を感じさせるのは舟のみ。

 

 

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尾名川へと流れ込む川がある迫間町の迫間湿地。

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迫間自然観察公園の西の道。台風19号では車が完全に水没する高さまで冠水したようだ。これは怖い。

正面にある山が三足富士。