渡良瀬川 南猿田の富士講碑
明和8年(1771)に南猿田河岸が出来て栄えた村であった。
あった小祠などがまとめられている。
もの。繁栄と安全を祈願したのだろう。
南猿田の織屋の主人たちが中心となった講のようだ。
織屋が儲かれば河岸問屋も儲かる時代のもの。
「身禄の嶽とあらわれて三万めでとふ戸をさゝぬ御代」の御詠歌あり
若宮八幡宮 稲荷神社碑
願主 足利町の伊勢屋と、問屋・船主中が祀った船玉宮石祠
(伊勢屋が金毘羅から勧請していたならばおもしろい)
船着き場の正面にあったと思われる船玉宮の祭神は船玉神だが、
これを十二船玉と云う場合には、大日・春日・八幡や猿田彦神なども
含まれるという。
ピンゾロを上に向けて帆柱部に納め、「天に日月、地に十二船玉社」
の意味合いがあるようだ。川でも海でも日月様様だろう。
軍船を率いて海を渡ったという神功皇后の神話から、船玉大神を連想
する人もいただろう。
していたなかで、一社八幡宮の前を流れていた時代もあったという。