2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

胎蔵曼荼羅と万字

鑁阿寺 両界曼荼羅図(胎蔵界) 胎蔵曼荼羅は、八葉蓮華をかたどる「中台八葉院」を中心に「十三の院」からなり 大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現した曼荼羅である。 大日如来を取り囲む、4体の如来と4体の菩薩が「五転」と呼ばれる流れを表…

富士山頂の胎蔵曼荼羅

江戸の時代、富士の山頂を『八りう』と呼んでいた。 1300年頃の記録にも、「いただきに八葉の嶺あり」とあり さらに古い時代から『八りう』と呼んでいたと思われるが これは富士の頂上にある 8つの峰(八神峰)のことである。 この八神峰を、密教の曼陀羅に…

八郡参り 三十三社浅間 八社参り

足利北部 名草岡成の「浅間講」では、富士山に登拝する代わりに浅間神社巡りをした。 (名草の浅間講は「お祭りのための講」で、お祭りでは太々神楽や屋台の出店で賑わったという。) この講では、浅間神社参りをするときに「八郡参り(ヤコオリ参り)」をす…

仙元宮の藤紋 絵馬の藤紋

足利市大月町 仙元宮神社に奉納された絵馬の中には 「卍紋」と、その左右に「片手藤」紋が描かれている。 この絵馬に描かれているのは、足利大月町の仙元宮か または、富士山麓の北口仙元社(北口本宮冨士浅間神社)であるのか? 現在の北口本宮冨士浅間神社…

大月 仙元宮 富士行者の供養塔 Ⅱ

木に取り込まれつつある供養塔 長谷川角行 直系の「6世 村上光清 ~ 10世 照清」までの5名の戒名が彫られている。 左側面は、「八世・十世の没年」と奉造立年。 正面の木に埋もれている部分には、中央の「中興開山ごうくう妙王光清居士」(村上光清)より 右…

足利で見られる富士講系図

富士行者 長谷川角行が、足利で布教活動をした文禄年間 (豊臣秀吉が、全国制覇を成し遂げてから数年たった1595年頃) 角行は、岩井村にて水行100日、続いて大月村にて滞在修業をしました。 特に足利郡大月村での布教は、大きな成功を収めたようです。 いま…

足利 富士浅間信仰 一覧のようなもの

足利(旧足利・梁田郡) <河南エリア> ・男浅間神社 田中町(借宿町地内) 合目石・ 胎内洞穴(長谷川角行 霊窟) ・女浅間神社 田中町 逆卍 ・ 川上講石碑 ・四所神社 朝倉町 卍紋水盤 <北エリア> ・仙元宮神社 大月町東耕地 赤富士・絵馬・板マネキ・…

富士浅間信仰って 富士山と浅間山のことなの?

富士浅間信仰とは、富士山を神と見立て崇拝の対象とする信仰である。 浅間神社の語源とされる一例。 1、「浅間」は荒ぶる神であり、火の神である。 江戸時代に火山である富士山と浅間山は一体の神であるとして祀ったとする説。 2、「浅間」は阿蘇山を意味…

「足利市歴史文化基本構想」と「足利の富士山信仰」

足利市では、文化庁の『文化財総合的把握モデル事業』として 『足利市歴史文化基本構想』の策定を、3年にわたって進め 平成23年の3月より一般に公開しています。 このなかのテーマのひとつ「足利の庶民による祈りのものがたり」として 足利における富士…

じいちゃんorばあちゃんの初山ペタンコ (かもしれない)

終戦前(昭和20年頃)の足利富士浅間神社 初山講のようす。 物資が乏しく大変な時代でも、大変賑わっていたことがわかります。 戦時中は、カラフルな足利銘仙を着ることは許されなかったので 黒く染めなおして、モンペに作り変えたりもしたようです。 ペタン…