富士浅間信仰って 富士山と浅間山のことなの?

富士浅間信仰とは、富士山を神と見立て崇拝の対象とする信仰である。

浅間神社の語源とされる一例。

1、「浅間」は荒ぶる神であり、火の神である。
   江戸時代に火山である富士山と浅間山は一体の神であるとして祀ったとする説。

2、「浅間」は阿蘇山を意味しているとする説。

3、「アサマ」とは、アイヌ語の「火を吹く燃える岩」からきているとする説。

4、「阿蘇(アソ)」「浅(アサ)間」の語源は同じであり、火山を意味していて
   阿蘇山浅間山、温泉地名では浅見・浅虫 また「熱海」も同じ意味合いだという。

 *佐野市の旧名「安蘇郡」は、古文書によっては「阿蘇郡」と表記されるが
  安蘇とは麻緒(あさお)の略で「麻を産するところ」だということです。



富士浅間信仰の考えでは、富士山を「三国第一山」と称して <天竺・支那・大和>
(インド・中国・日本)の「三国のなかでも第一の山である」とする。
富士山は、阿蘇山浅間山と比較される山ではない。

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浅間神社の石碑に見られる(三国第一山)


第11代垂仁天皇が、富士山の火山活動を鎮めるため
富士山を神格化した「浅間大神(アサマノオオカミ)」を、静岡県富士宮市の山宮浅間神社に祀った。
のちに富士山本宮浅間大社遷座され、「富士の宮」「富士浅間宮」「富士浅間本宮」と呼ばれた。

浅間大神は「木花咲耶姫」の別称とされますが、富士山の主祭神として木花咲耶姫が記録される
初見は1614年だとも言うそうで、富士山本宮浅間大社の歴史 大同元年(806年)から見ると?

イメージ 2 名草町の石碑(浅間大神




富士講の開祖とされる 長谷川角行は、富士山の神を「仙元大神(仙元大菩薩)」とし
富士山の尊称を「明藤開山」と命名した。

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東京都檜原村の石碑「仙元大神 明藤開山」
初代 長谷川角行の法脈を継いでいる、6世「村上光清」の村上講社が建てたもの



角行の流れをくみ、村上光清と同時期に活躍した、富士講元祖と呼ばれる 食行身禄
「元の父母(イザナギイザナミに相当する創造神)の御子が仙元大菩薩」であり
「元の父母に支配を委ねられている神が、天照大神アマテラスオオミカミ)」だとした。
さらに、富士山の尊称が「明藤開山」から「参明藤開山」に改名されたと公表している。


富士講開祖 角行と元祖 食行身禄。 村上光清の話は別の機会に…


「あさま」を「せんげん」に読み替えたのは、長谷川角行が初めてではないのですが
富士山を祀る神社が、浅間(アサマorセンゲン)神社や仙元宮となっている由来は、
富士山を神格化した「浅間大神(アサマノオオカミ)」と「仙元大神(仙元大菩薩)」である。



読み替えや漢字の当て変えは多くみられ、その中で定着して残った名称が今に伝わっている。

登録世界遺産である栃木県の「日光」では、東照宮二荒山神社 とあわせて「二社一寺」と
称しているが、近世までは山にあるすべての寺社を総称して「日光山」と呼んでいた。
この日光という山号も「二荒(ふたら)」を(に・こう)=「日光(にっこう)」に読み替えたもの。

足利でも、織姫山は「機神山」、借宿の八幡山は「神宮寺山」と言いました。
これらは時代の変化だけではなく、政府の方針として変わったものです。