富士山頂の胎蔵曼荼羅
江戸の時代、富士の山頂を『八りう』と呼んでいた。
1300年頃の記録にも、「いただきに八葉の嶺あり」とあり
さらに古い時代から『八りう』と呼んでいたと思われるが
これは富士の頂上にある 8つの峰(八神峰)のことである。
さらに古い時代から『八りう』と呼んでいたと思われるが
これは富士の頂上にある 8つの峰(八神峰)のことである。
また富士行者は、八神峰を時計回りに巡拝して「お八巡り」と言ったが
今では峰の頂上は通らず、火口の周りを一周することを「お鉢巡り」という。
今では峰の頂上は通らず、火口の周りを一周することを「お鉢巡り」という。
低酸素の富士山頂での「お八巡り」は、大変危険な山岳修業であった。
日の光は、日の当たらない部分(影)を作ってしまうが
大日の光明は「遍(あまね)く一切を照らし」慈悲の活動は永遠不滅といわれる。
大日の光明は「遍(あまね)く一切を照らし」慈悲の活動は永遠不滅といわれる。
<八葉蓮華?>
八角のデザインは 八神峰(八葉蓮華)か
江戸時代の信仰登山では、登頂までは杖を突いて登り
下山をする時には、杖を担いで降りたという。
(*ローカルルールと思われ、全員がそうした訳ではないでしょう)
下山をする時には、杖を担いで降りたという。
(*ローカルルールと思われ、全員がそうした訳ではないでしょう)
神仏の世界である富士山頂の土が付いた杖を、大切に担いで持ち帰った人達が
その杖をどのように使ったのかを考えると、足利で見られる「ペタンコ祭り」の
ハンコのルーツかも知れない。
その杖をどのように使ったのかを考えると、足利で見られる「ペタンコ祭り」の
ハンコのルーツかも知れない。