八郡参り 三十三社浅間 八社参り

足利北部 名草岡成の「浅間講」では、富士山に登拝する代わりに浅間神社巡りをした。

(名草の浅間講は「お祭りのための講」で、お祭りでは太々神楽や屋台の出店で賑わったという。)


この講では、浅間神社参りをするときに「八郡参り(ヤコオリ参り)」をするグループと
「三十三社参り」をするグループがありました。



「八郡参り(ヤコオリ参り)」をする者は、足利郡を含む周囲八郡の浅間神社
 泊まりながら参拝してまわった。

イメージ 1 館林市 冨士嶽神社
赤万字講の木額「参國八郡八社修業」


・参國とは、栃木・群馬・埼玉のこと。
・八郡は、足利・簗田(梁田)・安蘇・山田・邑楽・新田・大里・(あと一つが特定できない)
    *初山祭りの残る北埼玉郡、もしくは大平山がある都賀郡ではないかと考える。
・ヤコオリとは、福島県郡山市を「コオリヤマ」と読むように
        足利郡は「アシカガゴオリ」と言った。(八郡=ヤコオリ)


イメージ 2 群馬県邑楽郡大泉町
○登講の木額「奉八郡八社修業」
(また、逆卍講の木額「奉拝八郡八社修行」もあった。)




「三十三社参り」の者は、足利地内にある三十三社の浅間(仙元)神社を参拝した。


足利に三十三社もの浅間神社とは、多いと感じるかも知れない。
地域の最小区分が「字(あざ)」であった時代、「字」には少なくても一社は
神社(鎮守)祀られていた。
(明治初頭、全国には18万の「字」が有ったので、神社の数も全国で18万社以上であった。)
 また、富士塚浅間神社に含まれた。

足利を横切る一級河川渡良瀬川」の土手拡張工事により、取り壊されたと思われる
富士塚の石碑が、場所を土手の外側に移されて川の南北に残されている。


足利周辺にはこの他にも同じ郡内の浅間神社 八社を巡る富士講がある。

これらの浅間神社参りを通じて、各地域と交流が深まっていった。
(信仰のみならず、農業・養蚕・織物・婚姻 など)