2013-01-01から1年間の記事一覧

天道山 江戸に渡った不思議な鏡

足利の南大月の山を眺めると、浅間山や両崖山からも、松田ダム反射板鉄塔の白ボードが見えます。 戦前には、県内の約200ヶ所で行われた天祭。大月村でも「天ノ祭」を行った山が天道山です。 山頂には日月神社の立派なお宮が建っていましたが、昭和58年2月23…

足利大月村に見る 卍講と村上講

嘉永6年2月、檀家廻りで大月村に訪れた富士御師への勧進差出(22名分の初穂料)の筆頭者が 安藤氏であることが文書の記録によりわかっている。 大月村の安藤氏と聞くと、天道山、日月神社、天道宮、天の祭り、天満宮などを連想する。 また、足利田中町女浅…

足利大月村と富士山御師

足利大月町 東耕地 仙元宮神社 安政2年(1855)村上講 奉納の水盤 水盤の奉納者連名にある福地姓は、村上派の影響が強い足利市大月町や佐野市高山町に見かける。 仙元宮内にある村上講の藤紋は、扶桑教少講義 福地氏の板マネキ。 このほか、福富町の卍講でも…

世界遺産で見る 足利の村上講

登録名称「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」として、世界遺産に登録された 6月26日から 今日で半年。 栃木県足利市からでも、白い富士の山頂がはっきり見えるベストシーズンになりました。。 富士山信仰に興味はないという方。 夏に登山したから、富士山はも…

晴山講の富士参詣 絵馬と天狗と卍の向き

江戸時代中期、富士山北口登山道の茶屋として開業した「中の茶屋」(山梨県富士吉田市)に 建てられている、野州晴山講「(右卍) 登山百十一度 晴山永行(大正十年)」の富士講碑。 石碑には紙垂(しで)やワラジが結ばれていた。 (中の茶屋の向い側には、…

足利の 富士山 手描き絵馬

岡田商店が戦前に販売していた、富士山の手描き小絵馬 (五十部町新屋敷) シンプルに描かれた富士山ですが、とても力強く感じられます。 それは、この絵馬の神社幕と富士山が暗示しているデザインを 無意識のうちに読み取っているから?かも知れませんね。 …

足利 女浅間神社で富士登山

数分で山頂に到着してしまう女浅間神社では、登山自体の楽しさを感じる ことは出来ませんが、少しでも富士登山の気分を味わうために考えて 富士講碑が配置されています。 女浅間神社の富士登山ガイド。 女浅間神社の一の鳥居を、富士吉田市の金鳥居に見立て…

北口御師 毘沙門屋さんの板マネキ

赤万字の書かれた板マネキ(講の広告)は、館林市でも見られますが なんといっても圧巻なのは、山梨県富士吉田市上吉田にある北口御師 毘沙門屋さんでしょう。 上吉田の町が現在地に移転して来た元亀三年(1572)の「吉田之新宿帳」にも 記録が残る毘沙門屋さ…

田崎草雲 手水舎の天井画 ”水神の龍”

鑁阿寺本堂の改修工事により、本堂の屋根瓦がツートンカラーになっていますね。 使える部材は残し、必要最小限の修理をしていくのではなければ それはただの「レプリカ」であると言われますので、瓦の色が馴染むのに 何年くらいかかるのかをチェックしていこ…

足利 女浅間神社の富士講碑

富士山の世界文化遺産登録が実現しますね。 ”おめでとうございます ” 文化的伝統と信仰・芸術源泉の山として 世界から認められた富士山ですが、 足利にも富士山信仰と、世界的な芸術作品として 富士山を描いた画家「田崎草雲」がいました。 6月1日の足利富士…