大月 仙元宮 富士行者の供養塔 Ⅱ

木に取り込まれつつある供養塔


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長谷川角行 直系の「6世 村上光清 ~ 10世 照清」までの5名の戒名が彫られている。

左側面は、「八世・十世の没年」と奉造立年。


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正面の木に埋もれている部分には、中央の「中興開山ごうくう妙王光清居士」(村上光清)より
右側に「7世 光照居士・9世 照旺居士」が記されているはずであり

見ることができない右側面には、6・7・9世の没年が記されているに違いない。
(「文政四辛巳十月二十九日」「文化五戊辰二月十一日」「宝暦九乙卯九月十七日」)


万延元年は富士山御縁年ですので、それを記念して建てられたものでしょう
また、この年(1860年)は、村上光清の没後101年目でした。


建てられてから152年、富士行者の名を今に伝える石塔ですが
地元の方でも、これが何か分かる人は多くないでしょう。