ペタンコ祭りとは 浅間信仰とお七夜儀礼(あやつこ)
「あやつこ」
現在のお七夜は「赤ちゃんの命名式」として、家族だけのお祝いになっているが
昔は、足利市全域で生後7日目に「シチヤ祝い」とセッチンマイリが行われた。
オサゴ(白米を半紙包んだもの)と尾頭付きの魚をそなえて厠(かわや)の神に
赤ちゃんの無事成長を祈ったという。
昔は、足利市全域で生後7日目に「シチヤ祝い」とセッチンマイリが行われた。
オサゴ(白米を半紙包んだもの)と尾頭付きの魚をそなえて厠(かわや)の神に
赤ちゃんの無事成長を祈ったという。
栃木県(下野国)の各地に「浅間講」「仙元講」(富士講)が起こり、ある時期には
足利地内に33社の浅間神社があったと伝わり、両親が浅間信仰に係わっていれば
赤ちゃんのお宮参りにも、浅間神社が利用されたと考えられる。
ペタンコ祭りとは、浅間神社の初山詣(生まれて初めての山開きに浅間神社に詣でる)と
お七夜の儀礼の「お宮参り(産土詣で)」&「あやつこ」が融合した行事である。
足利地内に33社の浅間神社があったと伝わり、両親が浅間信仰に係わっていれば
赤ちゃんのお宮参りにも、浅間神社が利用されたと考えられる。
ペタンコ祭りとは、浅間神社の初山詣(生まれて初めての山開きに浅間神社に詣でる)と
お七夜の儀礼の「お宮参り(産土詣で)」&「あやつこ」が融合した行事である。
「浅間講」から「初山講」になり、お祭りを引き継いできた足利冨士浅間神社では
ペタンコ祭りの始まりを、文禄年間(1592年頃)に富士行者「長谷川角行」から伝えられた
<幼児の額に朱印を授ける神事>であるとしている。
ペタンコ祭りの始まりを、文禄年間(1592年頃)に富士行者「長谷川角行」から伝えられた
<幼児の額に朱印を授ける神事>であるとしている。