富士山の場所や高さをあらわすもの
七合五勺目の合目石
富士講元祖と言われる伊藤食行(じきぎょう)身禄が富士山で入定した
烏帽子岩・元祖室を暗示している。
この合目石には
嘉永2年と刻まれ(西暦1849年)、2012年から 163年前に川上講が建てたもの。
嘉永2年は、
富嶽三十六景の浮世絵で有名な「画狂老人 卍」こと、
葛飾北斎が亡くなった年。
(『足利行道山くものかけはし (諸国名橋奇覧)』も
葛飾北斎の作)
この4年後の「ペリー黒船来航」は幕末の日本に衝撃を与えた。
群馬県館林市 ペッタンコ祭りの冨士嶽神社では、六合目の合目石にて「女人結界」として
いたようですので、昔は足利の女性も60年に一度来る富士山「御縁年」の年にしか
七合五勺目の合目石を見られなかったかも知れない。